Page 1242 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 通常モードに戻る ┃ INDEX ┃ ≪前へ │ 次へ≫ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ▼島根安来はタダモノではない 多々良住人 05/1/10(月) 12:52 ┣Re:島根安来はタダモノではない 福岡いいよね 05/8/25(木) 1:48 ┗Re:島根安来はタダモノではない 最近読んだ古代出雲本 05/10/9(日) 0:16 ─────────────────────────────────────── ■題名 : 島根安来はタダモノではない ■名前 : 多々良住人 ■日付 : 05/1/10(月) 12:52 -------------------------------------------------------------------------
出雲安来は不思議なところ。 日本母神の伊邪那美のお墓があるのに あまり有名でない。出雲には祟られる という伝説が、あり実際、京都の やすらい祭りという祟りを静めるお祭 りがありますがやすらい=安来とも よめる。 この、安来と言うところはタタラ (鈩、多多良)製鉄という日本独自の 製鉄法が盛んな地域らしいが、この たたら=祟りと語音が似ている。 多多良という文字は、古事記を 紐解くと、比売多多良(ヒメタタラ) ・伊須氣余里比売(イスキヨリヒメ) という美人の誉れ高い姫が登場する がその時とも一致する。 隣接する市町村には例えば、葦原 中国と黄泉の国の境目とする、黄泉 比良坂というところや、米子市夜見 町というところがあり、ここがかつ て黄泉の国であると考えると、後に 黄泉大神と呼ばれた伊邪那美の墓が ここにあるのも頷ける。 この一体は、出雲国でも古墳時代 前期に絶頂期を迎えた王国の痕跡が 残っており、古墳時代前期最大の方墳 、造山、大成古墳などがある。 日本海側は弥生時代に始まる四隅 突出型墳墓というヒトデのような形 の墳墓があるが、これが方墳へと移 行していったとされ、その移行途上 の古墳、塩津山古墳(墳墓?)もあり 全国的に非常に珍しい。 最近、出雲西方の加茂岩倉遺跡 や荒神谷遺跡など弥生期の遺跡で 島根県の考古学は盛り上がってい るそうだが、私としては古事記と の関連が深い、安来に興味は尽き ない。 |
安来って博多の語源になった「伯太」 という地名があるんでしょ?そこって 黒田節の母里多兵衛のさとで母里という 地名があるとも聞いたところがあります。 元々、福岡は宗像大社もあるし、出雲に は縁が深いと薄々感じておる今日この頃 です。 ▼多々良住人さん: > 出雲安来は不思議なところ。 >日本母神の伊邪那美のお墓があるのに >あまり有名でない。出雲には祟られる >という伝説が、あり実際、京都の >やすらい祭りという祟りを静めるお祭 >りがありますがやすらい=安来とも >よめる。 > この、安来と言うところはタタラ >(鈩、多多良)製鉄という日本独自の >製鉄法が盛んな地域らしいが、この >たたら=祟りと語音が似ている。 > 多多良という文字は、古事記を >紐解くと、比売多多良(ヒメタタラ) >・伊須氣余里比売(イスキヨリヒメ) >という美人の誉れ高い姫が登場する >がその時とも一致する。 > 隣接する市町村には例えば、葦原 >中国と黄泉の国の境目とする、黄泉 >比良坂というところや、米子市夜見 >町というところがあり、ここがかつ >て黄泉の国であると考えると、後に >黄泉大神と呼ばれた伊邪那美の墓が >ここにあるのも頷ける。 > この一体は、出雲国でも古墳時代 >前期に絶頂期を迎えた王国の痕跡が >残っており、古墳時代前期最大の方墳 >、造山、大成古墳などがある。 > 日本海側は弥生時代に始まる四隅 >突出型墳墓というヒトデのような形 >の墳墓があるが、これが方墳へと移 >行していったとされ、その移行途上 >の古墳、塩津山古墳(墳墓?)もあり >全国的に非常に珍しい。 > > 最近、出雲西方の加茂岩倉遺跡 >や荒神谷遺跡など弥生期の遺跡で >島根県の考古学は盛り上がってい >るそうだが、私としては古事記と >の関連が深い、安来に興味は尽き >ない。 |
門脇禎二氏の「古代出雲」(講談社学術文庫2002)はなかなか、興味深いものであった。加茂岩倉遺跡の銅鐸、神庭荒神谷遺跡の青銅器群と出雲王国を単純に関連付けようとする説が多く流布されているが、王国が出来る程度の生産性の高い集団が組織化され古墳が生み出されるためには、青銅器ではなく鉄器の農具が必要だからだ。そうすると昔から鉄の産地である出雲東部に目が行く。製鉄で有名な安来には荒島古墳群がありここの王が出雲国造へ連なるという考えがすっきりする。 なんとなく気になって、この安来の歴史に関して調べてみると、(1)出雲国造の祖、天穂日命をまつる能義神社がある。(2)古事記に記されている伊邪那美神の神陵がある。(3)出雲風土記を調べると、ここには「語臣猪麻呂」という男の娘が、和爾(サメ)に食われ男が復讐したことを他の地域よりも長々しく書いていること。語臣とは語り部のことで、王権の正統性を伝える官職と考えることが出来る。などが新たに理解された。 |